Taigan Historical Museum
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泰巖歴史美術館 展示品目録 (現在の展示品はこちら)
過去の展示品目録
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2023/10/11~11/19
2023/11/21~2024/1/8
2024/1/10~2/25
2024/2/27~4/14
2024/4/16~6/2
2024/6/4~7/21
2024/7/22~9/8
2024/9/10~10/27
1F・2F 信長の生涯
安土城 天主閣1
天正4年(1576)織田信長が築城を命じ、同7年(1579)に完成した、安土城第五層の復元です。総朱塗り仕上げの八角堂で、内部には狩野永徳によって描かれたとされる障壁画も再現しています。
安土城 天主閣2
天正4年(1576)織田信長が築城を命じ、同7年(1579)に完成した、安土城第六層(最上層)の復元です。総金仕上げで、内部の格天井には花の絵が並んでいます。
松図
原画が紛失している天瑞寺室中旧障壁画「松図」を、描かれた当初の画面の縮図をもとに推定し、実技的見地から原画復元を試みたものです。天瑞寺は豊臣秀吉が母親の病気平癒のため建立した寺で、松図の作者は狩野永徳とされています。
信長塀
熱田神宮境内にある、織田信長が寄進した築地塀の再現です。西宮神社の大練塀、三十三間堂の太閤塀と並ぶ、日本三大土塀の一つでもあります。
刀 銘 左衛門尉藤原氏房
信長に仕えた刀工・藤原氏房が、永禄13年(1570)4月に制作した刀です。元亀2年(1571)9月、比叡山攻めの際の信長差料と伝えられています。
3F 信長の時代
織田信長朱印状
信長が佐久間信盛へ、元亀2年(1571)に比叡山延暦寺を焼き討ちしたことに伴い没収した所領を与えた朱印状です。
織田信長書状
永禄11年(1568)、織田信長が上杉輝虎(謙信)に宛てた書状です。足利義昭を奉じて上洛した信長は、後方の安全確保のため武田信玄と和睦し、謙信に対しても信玄と講和をして、天下のため共に奔走することを求めています。
豊臣秀吉肖像
江戸時代前期の土佐派の絵師・土佐光起による、豊臣秀吉の肖像画です。
武田信玄肖像
甲斐国の戦国大名・武田信玄の肖像画です。床机に腰掛けて軍配を持ち、背後には「風林火山」の旗がみえます。
上杉謙信肖像
越後国の戦国大名・上杉謙信の肖像画です。もとは春日山(新潟上越市)の林泉寺にあったとされ、上部には謙信自身の作とされる賛があります。
4F 合戦の時代
豊臣秀吉着用 孔雀羽装陣羽織
豊臣秀吉所用として、旧加賀藩原田家に伝来した羽織です。戦場で鎧の上に着用するもので、孔雀の尾が縫い付けられた豪奢な作りになっています。
太刀 銘 来国光
山城国来派の刀工・来国光の太刀です。旧国宝であり、現在は重要文化財に指定されています。国光は来派中最も作域が広いことで知られ、本作は来派伝統の真の直刃を焼く名品です。
刀 無銘 大磨上 伝長光
大磨上げ無銘、長船長光の作と極められた刀です。刃文は匂い出来の丁子に互の目ごころを交え、地鉄は小板目が美しく詰み、乱れ映りが現れています。紀州徳川家に伝来し、無銘ながら重要美術品に指定されています。
長久手合戦図屏風
天正12年(1584)に、豊臣秀吉と徳川家康・織田信雄が争った小牧・長久手の戦いのうち、長久手の戦いを描いた合戦図屏風です。
金小札白糸威両引合胴具足
若狭小浜藩旗奉行を務めた高橋有無允所用の具足であり、江戸時代前期の作です。
5F 信長と茶の湯
千利休 虫喰竹茶杓
竹で作られた千利休の茶杓です。抹茶を茶器からすくって茶碗に入れるために用いられます。本作は、中節にある虫喰い穴のような跡を活かして作られました。
狩野元信 四季花鳥図屏風(左)
狩野派2代目・狩野元信による四季花鳥図屏風の左隻です。四季の中に、孔雀のつがいや魚、虎、鴨が描かれています。
狩野元信 四季花鳥図屏風(右)
狩野派2代目・狩野元信による四季花鳥図屏風の右隻です。四季の中に、虎と鶏の親子が描かれています。
黒楽茶碗 銘「西窓」
樂家初代・長次郎による黒楽茶碗です。銘の「西窓」は千宗旦によるものです。引き出し黒による発色が鮮やかな表面で、高台は長次郎の作としては珍しく碁笥底になっています。
緑釉盞平茶碗 天心印
平安時代に作られた平茶碗です。十六世紀にキリスト教宣教師によって日本に運ばれ、織田信長に献上されたと伝わっています。